昔中国で活躍された趙州禅師という方が「貧を守れ」という言葉を残されました。
趙州和尚さんのお寺に旅の雲水さんが訪ねて来て大変空腹なので何か食べさせてくださいと食事を求めたときに、
食べものを施す代わりにこの一言を与えました。
今ここの様子、お腹が空いているという状態を大切にしなさいということです。
お腹が空いていれば満たされること、不安だったら安心を、分からなかったら分かることに意識が向かうのは
自然なことですが、縁があり、条件が揃い、今ここに起きてきたこと事実そのものを、
そのまま確り受け取ってくださいということです。
嬉しい事なら素直に抵抗無く受け取るように、同じように受け取ってくださいということです。
以前葬儀を勤めた時、あるご住職から「遺族を慰めてあげることはできないし、慰めてあげる必要もないんだよ」
と言われたことがあります。ずいぶん冷たいなぁと思いましたが、言わんとすることは大切なことだと思いました。
悲しいという今ここの様子は紛れもない事実で、その人が経験するべき、そこに居るべき、しっかり感じ切るべきもので、
周りが手を付けることはできない、手を付けてはいけないもので、その人が確り感じ切ることによって
自ずと心はその状況を中和し調和しバランスを取り戻していく力があるということ、
周りが働きかけなくてもその人自身に取り戻していく力ははじめから確り備わっている、
そのようなことを伝えてくれたのだと思っています。
弔問、お弔い、お見舞いの時、どうゆう言葉をかけてよいかわからないという人に対し、
つらい思いをしている人はそれを乗り越える力を持っている人、乗り越えることが出来る人と見てあげることが、
一番その人の力になることであり、助けになることだと言われた方もいました。
今ここに在るということ、今ここの様子に成りきっていくことが、その人の力が一番発揮できるところですと、
昔の祖師方は伝えてくれています。