古池や・・・


古池や蛙飛び込む水の音

この句は、蛙の飛び込んだ音の背後に広がる静寂を

詠んだものという解説を以前読みました。

見田宗介さんの本でした。


 閑さや岩にしみ入る蝉の声   

という句も芭蕉さんにはあります。

蝉の声がものすごい中で、閑さや・・

 「佳景寂寞(かけいじゃくまく)として心すみ行(ゆく)のみおぼゆ。」

と本文にあり、美しい景色  は静まり返って、心は澄んでゆく・・・

この閑けさは、芭蕉さんの心の静けさと解説している方もいました。


古池や・・の静寂、閑さや岩に・・・の静寂。

この静寂は、どちらも人の心の姿を現していると思います。

蛙の飛び込む音も、他の音も、また景色も、あらゆるものが

顕れることができるのは、その背景、地が、何もない状態

でなけばならないと思います。

何かがあれば、それに邪魔されてそのものはそのものとして

顕れることはできません。

大元は、静寂、空白であって、はじめてあらゆるものが

現われます。映し出されます。

この静寂、空白の部分が、人のこころの本質だと思います。

人、私すらない。人、私、自己も、その空白に現れた様子。

映し出され、消えていく様子の一つ。

そうゆうとさみしい、悲しい感じがしますが、

私とは、心という空白全部、また映し出されたもの

全部でもあります。

そしてこの静寂は、心の本質は、まわりでどんなに

蝉の声がうるさくとも、何が起ころうとも、

それに影響、干渉されることなく、

静寂を保ちつづけるもの。

「八風吹けども動ぜず天辺の月」の月のようなもの

だと思います。