自己信頼


世の中様々な事件、犯罪、問題が山積みです。

いじめ、モラハラ、パワハラ、DV、強盗から国家の対立まで・・

それらの原因を一つ一つ遡ると、最後はたった一つのこと、

自己不信、自己否定、自己不完全感にたどり着くと思います。

また、個人が抱える様々な苦しみ、問題も、根は同じだと

私は思います。

自分を肯定すること、信頼すること、尊重すること、

大事にすること、自分に大きな価値を見出すこと、

「自己信頼」が、すべての問題を解決する鍵だと思います。

それは問題を解決するだけではなく、その人自身を生きること、

喜びや豊かさを享受して生きることでもあると思います。

普段「自信がある」「自信を持つ」という表現が良く使われます。

この自信は、自己を信頼するということに変わりはないのですが、

ここでいう自己信頼とは違います。

たとえば、部活動で一生懸命努力して、最後の大会では、立派な

結果を残せたとき、諦めず最後まで続けた、努力した、頑張った

こと、そして立派な結果を残せたことに誇りを持ち、自信を持つ

と思います。この自信もとても大切だと思います。尊いと思います。

この自信は個人的なものに対する自信だと思います。

ここで言う、私の申し上げたい自己信頼は、私に有ってあなたに無い

というものではなく、誰にも始めから備わっているものに対する信頼

というものです。

それは間違いなく、確実に誰にも備わっています。

説明のため「備わる」、「有る」と表現しましたが、宝石のように

何か形のあるものではありません。

形のない「働き」です。自分自身の本当の姿、力、働きとも言えます。

自己信頼を言い換えると、「自分自身の本当の姿、力、働きに気付く」

ということです。

それは、形のないもの、尊いもの、過不足なく整ったもの、完成されたもの、

調和のとれたもの、智慧そのもの、満ちているもの、平安、静寂、豊かさ、

生死を離れたもの、対立を越えたもの、個を越えたもの、創造力、治癒力・・・

これが人の本来の姿、一人一人の本質。とわたしは思います。

ものの見方、意味づけ、価値づけ、概念、観念・・・

そうしたものを離れていくことによって、本当の様子を

感じとり、気付きとっていくことが出来ると思います。


また、以下の様にも説明できると思います。

金子みすゞさんに「蓮と鶏」という詩があります。

「泥の中から蓮が咲く。それをするのは蓮じゃない。

 玉子の中から鶏がでる。それをするのは鶏じゃない。

 それに私は気が付いた。それも私のせいじゃない。」

泥の中から蓮が咲くのも、玉子から鶏が出てくるのも、

人が何かに気付くのも、みんな自分の力でやっている

ようでそうではなく、自分以前の、自分の背後にある

大きな力が働いている、そうゆうことを表現した詩だと思います。

現在の最先端の科学技術を以ってしましても、蚊一匹、

蟻一匹、命をゼロから創り出すことはできません。

命は人の力、人智を遥かに越えています。

その人智を遥かに越えた力が、私たち一人一人を支えてくれています。

目は見ようとしなくても見えます。音も味も匂いも寒暖も

感じようとしなくても感じられます。心臓も動かそうと

しなくても休みなく働いてくれています。肺も腎臓も・・

確り働いてくれています。

たった一つの受精卵が分裂を繰り返し、成人すると60兆個になるそうですが、

それを自分で行ったという人はいないと思います。

自分の気持ち、意志、考えといいますが、良く観察してみると、

自分で意図したものではなく、心のどこからか湧いてくるもの、出てくるものです。

人の体も五感も意識もその基本的な活動は自分でコントロールし、

意図しているというようなものではありません。

自分で何もしなくても、自分の意図、自分の力を用いなくとも、

何の支障もなく活動できます。

この自力以前に働いている力が、本当の自分に相当すると思います。

それは人智を越えたいのちの大きな働き、力であり、

一人だけに働いているものではなく、みんなに働いているものであって、

そうゆう意味で平等であり(当たり前ではありますが)、

また人は個々別々でありながら根底では同じ一つの力で繋がっているもの

と言えると思います。

そして「今ここ」にのみ、この力は顕われています。

本当に意識的に一切何にもしなくても、意図しなくても、人為を離れても、

きちんと生きていられる、活動が遂行されているということに

はっきり気づくことが出来たとき、

生命活動の根底にあるのは、自我意識、自分では無いということ、

根底には完璧な力がいつも働いているということが、はっきりわかると思います。

自己信頼とは、自分の根底にある命の完全性にはっきりと気付くこと。

と私は思っています。

以上、ややこしくなってしまった気がしますが、

簡潔に言いますと、

否定するもの、されるものは一つもなく、

すべてこのままでOK、大丈夫ということに気付くことだと思います。