人の仕組み


人はコンピューターのハードとソフトに例えることができると思います。

ハードはソフトを使いこなす心の機能、ソフトは言葉、観念です。

わたしは人間。男性。こうゆう性格、あの人はこう。この人はこう。

これはこうゆうこと、あれはああゆうこと、これこれは大事なもの、

~しなければいけない、~してはいけない、~と決まっている・・・

沢山の決まり事、ソフトを持っていて、そして使っています。

人と違ったソフトがあると、支障が生じ、痛い目にあったりして

消去され、自分の所属する集団、社会の常識を身に着けていきます。

人はもともと持って生まれたものも違いますし、この手持ちのソフトの

内容も量も全く違います。

ですからみんな違っていて当然です。違ってないほうが不思議です。

人との比較はできません。比較は無意味です。

ハードであるこころは、持って生まれたものの違いはありますが、

優劣など無くみな平等です。同じです。

優劣があるように見えるのは、ソフトの違いです。部分的なものです。

この譬えを使って申し上げたいことは、

何か問題を抱えている、苦しい、辛い・・時は、

ソフトのどれかが問題の原因ということです。

人のせい、状況のせいにしてしまいがちですが、周りの人、状況の責任

でもなく、また自分自身そのものの、こころそのもののせいでもなく、

ソフトのどれか、いくつかの信念、思い込みそうゆうものが原因と

いうことです。或いは、そうした信念、価値観がもとになって生まれた

感情が原因ということです。

問題となる思い、信念、思い込みを持っていること自体、それは「ただ在る」

だけです。持っていること、そこに在ること自体、悪いことでも、

恥ずかしいことでも、何でもありません。ただそこに在るだけです。

実際の問題から、一つづつ遡っていくと大元の思い、信念、思い込みに

たどり着きます。

それを否定せず、唯在ることを認める、ただ感じる、ただ目を向ける、見る・・・

そうやっていくと、こころのパワーによるものなのでしょうか、

その思いは、昇華というのでしょうか、消えたり、変容していきます。

 大元の思いは、普段感じられない意識下、こころの奥にあると思います。

ですからそこにたどり着くのは、少し大変かもしれません。

ですが出来ない、難しいと思うと、できない難しいものになって

しまうと思います。

「心には無意識という意識できない領域がある」とよくいわれますが、

その概念があるおかげで、ますます人は「心はわかりにくいもの」

という思いを強くしてしまっていると思います。

問題の原因を探すため、心の深くまで目を向けることになりますが、

それは問題の解決のみならず、自分自身を知るということに

繋がると思います。