確かなこと

一人一人生まれ育った環境も違い、

考え方、感じ方も違い、世界観も違います。

神様は居ると思う人、いないと思う人、

本当に様々な世界観があると思います。

わたしは以下のように世界を感じています。


わたしが感じ取ったこと、気付いたことで

確かだと思われることが有ります。

それは、すべての問題の答え、解決の鍵は「今ここ」にある、

ということです。

「今ここ」 は思考以前です。

善いとか悪いとか、損得、上下、有無、生死、意味、価値・・・

そこから離れたところにあるものです。

もともと、本来「今ここ」 にわたしたちはどっぷり浸かっています。

どっぷり浸かっていながらも、ちょうど色眼鏡をかけているように、

フィルターで覆われているように、「今ここ」からの視点が

遮られてしまっています。

この色眼鏡、フィルターとは、ものの見方、考え方、意味づけです。

世界はこうゆうもの、時間は流れている、何かが有る、前後がある・・・

今ここの様子を、言葉、意味、価値以前の様子を心の機能の一つが、

瞬時に色付けし、説明し、解釈していきます。

その説明、解釈された言葉の世界、観念の世界の中にある「自分」、

それを本当の自分と思い込み、生死、損得、迷悟、浄不浄、上下・・

そうした中で葛藤し、苦を味わいます。

考え、思考の枠の中の「自分」は虚像、仮の自分です。

「今ここ」 、別の言い方をすれば命の顕れたもの、命の働きそのものが

本当の「自分」です。

考え、思考を離れると、見えてきます。気付き始めます。

今まで不動のもの絶対的なものと感じていた現実は、

実ではなく虚であること、

わたしは限定されるものではなく、前後の中に有るものでもなく、

内と外に分けられるものでもなく、何かと比較できるものでもなく、

個ではなく、個であると同時に全体であるという不思議な在り方

であること、

何かを獲得して、何かを補わなくてはという事もなく、

余分なものを取り除く必要もないということ、

どこかへ行かなくてはならないということもなく、

今ここでもう十分、整っているということ、

何もしなくても、無為のうちにすべては完璧に起きている、

逃げることも、隠れる必要もなく、人に評価される必要もなく、

誰かの上に立たなくてはいけないということもなく、

人の役に立たなくてはいけないということもなく、

誰かより劣っていることもなく、優れているわけでもなく、

みんな同じものからできたもの、平等であるということ、

敵も味方もなく、はじめから一つであるということ、

神様、権力者など外側にあるものに依存する必要のないこと、

外側の条件に基本的に左右されるものではないということ、

今ここに沢山の情報、力、答えが備わっていること、

そうしたことが感じられてくると思います。

「今ここ」は、命の顕れたもの、命の内容であって、

叡智、智慧、創造性、治癒力、大きな力、働きでもあると思います。

自分の外側ではなく、内側にはじめから備わっている大きな力に

触れること、立ち戻ることが、

問題解決、自分を癒すこと、心の平安を得ること、生き生きと生きること、

そのための一番の近道であり、確かな方法だと思います。

わたし自身まだ途上のものですが、それでもこのことは確かなことと

思います。