日常の様々な出来事に対して、良いとか悪いとか、運がいい悪い、
幸不幸・・意味づけ価値づけをしながら、私達は日々生きています。
望ましくないことが起こったとき、自分を責めたり、人を責めたり、
運の悪さを嘆いたり、悲観したりすることもあります。
それはその出来事を「良くないこと」と
見なしたところから始まっています。
その出来事は、本来いいも悪いもない、中立のものです。
その出来事を「良くないもの」とすれば、
その延長には不毛な現実が展開されると思います。
その出来事を「良いもの」とすれば、
その延長には何らかの有益な現実が展開されると思います。
「良いもの」とすれば、運の悪さを嘆くこともないし、
悲観することもなく、人と対立することもなく、
自分を責める必要もなくなります。
それを良いものとするということは、
その出来事は自分のために用意された、必然的な
何らかの学び、気付きの機会と受け取るということです。
そこから何を学べるか?という視点で見ていけば、
様々なことが見えてくると思います。
自分の無意識にある気持ち、考え・・・色々と
気付けると思います。
出来事を幸不幸、運不運と自動的にジャッジしてしまいがちですが、
選択できることでもあります。
世の中には 幸不幸、運不運 があるという前提で生きていると
思いますが、「基本的にはすべて良いこと」という前提に
置き換えてみると生活に変化が起こると思います。
良い流れを感じられると思います。
期間限定で、試してみるだけでもいいと思います。
過去を振り返ってみたとき、大きな問題、ネガティブな出来事も
その時は苦しく大変だったけど、今思えばそれがあったから
今の自分がある、大事なことを学べたという経験を持っている人も
沢山居ると思います。
「日々是好日」という言葉もあります。
「基本的にはすべて良いこと」という前提 、
良いというと語弊が生じるケースもあるかもしれません。
決して悪いことではない、不幸ではない、不運ではない、
そうゆう意味でお考え頂くといいかもしれません。
「どう考えても不運、不幸としか思えない」ということでさえ、
その考えにひびをいれることはできると思います。
たとえば、ひとから嫌なことを言われたとき。
相手の本意はわからず、九割方悪意があるものと思われるときでも
確定でなければ、悪意はないものと見なしてかかわっていくという
感じです。
相手に悪意があった、無かった、どちらで受け止めるかの違いは、
それ以降の関係に大きな違いをもたらすと思います。
これは部分的なことですが、自分の日常すべてに関して
「すべて良きもの」という前提から受け止めていくと、
出来事の解釈もより肯定的なものとなり、以降の展開も
より良いものになると思います。