いじめ、虐待、DV、モラハラ・・・
呼び方は違いますが、根はみな同じだと思います。
そのようなことをしてしまう人の心の中には、
大きな苦しみ、悲しみ、怒り、自己否定、自己不信・・・
などネガティブなものが沢山あると思います。
強力なネガティブな感情、思いがあふれ出て、その人は
それらに支配され、制御不能状態なのだと思います。
相手の心を傷つけたり、不快な思いをさせる言葉の暴力も
相手の身体に対する暴力も、原因は心に蓄積した大きな怒り
であることは明らかだと思います。
相手を蔑み、支配、コントロールするところは、自己肯定感の低い
ところから来ていると思います。相手をおとしめ、自分は上という
立ち位置を無意識のうちに作り出していると思います。
差別的なことは、差別意識の刷り込みからきているという見方も
あるようですが、その刷り込みを支持するのは、やはり自分は上に
なるという無意識の意図があるように感じます。
自分自身を尊重できないから、相手も尊重できない、これに尽きると
思います。ですので自分を尊重できるようになれば、相手も尊重
できうようになると思います。
加害者という表現は使いたくありませんが、そのようなことを
してしまう人は、被害者でもあると思います。
自分も同じようなことをされてきた、受けて来たのだと
尊重されてこなかったのだと思います。
親から子へ、世代から世代へと連鎖が続いていると思います。
自分を尊重できずに、負の感情を抱え、周りを巻き込み苦しむ人
その人から強い否定的なものを受け傷つく人。
その方たちが癒される道は、その人自身の奥深くへと入っていくこと
だと思います。
本当の自分、命の本当の姿をしっかりと見届けることだと思います。
この世での私たちの苦しみは、本当の自分に出会うために
準備されたもの、用意されたものではないかと私は思います。