車一台を作りあげるのに必要な情報を書き込んだ説明書があるとすると、
それは膨大なページになると思います。
エンジンの構造から、どうして動くかの理論から、ブレーキの仕組み、
沢山の部品一つ一つの機能、性能、作り方、改良の歴史・・・
膨大な情報量だと思います。
目の前にある、車一台にはその膨大な情報と、それを作った
沢山の人たちの注ぎ込んできた力、想いが全部含まれていると思います。
目には見えませんが、とても大きなものが込められています。
それは車だけではありません。テレビ、パソコン、冷蔵庫・・・
全てに言えます。生き物にも言えます。
大蔵経という沢山の経典がありますが、命あるもの、
一人の人に含まれる情報量は、大蔵経の何倍にもなると思います。
さらには、その人の両親、祖父母、沢山のご先祖様の想い・・・
一人の人に込められている、含まれている、目に見えない内容は、
天文学的な量だと思います。
目に見えるものと、見えないもの。見えるものは、見えないものの
ほんの氷山の一角、の一角、の一角、の一角・・・だと思います。
そして「今ここ」という一点には、想像を絶する内容が込められていると
含まれていると思います。
神様と呼んでよいのかわかりませんが、「今ここ」という
人智を越えた世界を創造したどなたかの計り知れない意図が
込められていはずだからです。