曹洞宗を開かれた道元禅師のお言葉に
「仏道をならうというは、自己をならうなり」という一節があります。
仏教は、自己とは何か?自分自身を明らかにするということです。
仏教を習い、学ぶということは、学校の勉強のように考え、覚え、知識を
増やしていくことも大切ですが、最終的には自ら気づき、
感じ取っていくことがなければ、満たされません。
仏教の本質、自己とは何か?の答えは、沢山の経典の中にも
指導者の言葉の中にもありません。
求めているその人自身の中にはじめからあります。
その初めから自分の中にある、何かを付け足す必要も
何かを取り除く必要もない、過不足なく整った、
円満なものを自覚する道が、坐禅、公案、念仏、持戒・・です。
ですけど修行というような、何か特別なことをしなければ
ならないかというと、そんなことはありません。
日常生活の中で、是非善悪、損得・・・分別・思考を離れ
目の前のことを唯々一生懸命勤めきっていく、成りきっていく
そうしたあり方の中に、必ず様々な気づきが起きてきます。
要は考えを離れることです。離れれば離れるほど、沢山の気づきがあります。
答えは全部自分の中にあるということが、自分ではっきりわかります。
意味づけ、価値づけをしないで、唯々在り続け、気づき続けていくなかのどこかで、
本当の自分の様子に気づき、そして何事もなかったように、また在り続け、
より明るく、より軽く、より自由に、より平安になっていく道を
仏教は教え示してくれていると思います。