三界唯一心、三界唯心造という言葉があります。
すべての世界は、ただこの一心、この心が造りだしたもの、
ということです。
この言葉の意味、内容はとても深く、広く、
私の知らない内容が沢山あると思いますが、書けること
書きたいと思います。
人、もの、出来事そのものに、名前も意味も価値も
ついていません。あとから人が貼り付けています。
人の認識作用が、言葉、文法、意味、価値、など使い
様々な観念を作り、世界を説明、解釈しています。
時間という観念、空間という観念、自分という観念・・・
共通している所もあると思いますが、
人それぞれ、みんな違った世界観を持ち、違った世界を
創り、生きていると思います。
このことが、三界唯一心、三界唯心造の一つの意味だと思います。
自分で世界を意味づけした記憶はないかもしれませんが、
生まれてから段々と、身の回りから知らず知らずに吸収し、
身に着けてきました。無意識のうちに今持っている
信念、思い込み、解釈、意味づけ・・を取り込みました。
いつの間にか出来上がった、「世界とはこうゆう所」、
「~はこうゆうもの」という思い込み、決めつけなど
信念は決定的なもの、変えられないものではなく、
いくらでも変えられます。自分で貼り付けたものだからです。
もう一つの意味です。
見たり、聞いたり、味わったり、嗅いだり、触れて感じたり、
思ったり、考えたり、気持ちを感じたり・・・
五感を通して、知覚を通して世界を認識します。
外側と呼ばれる景色や音、匂い、内側と呼ばれる思考、感情、意志。
みんな知覚に集約されます。
知覚の対象➡知覚 という方向で受けることを前提として
無意識に思っていますが、
知覚➡知覚の対象 とこちら側が映し出しているという方向
でもあるわけです。知覚が対象世界を創り出しているとも言えます。
思い込みで一方的な表現になっていますが、同じことだと思います。
それが三界唯一心、三界唯心造でもあると思います。
興味深いのは、この心の中の設定(信念、思い込み、意味づけ・・)
通りに物事は展開してしまうところがあることです。
例えば、プラシーボ効果は明確な例だと思います。
ただの小麦粉を薬だと言って飲ませると、症状が治ってしまう
ということがありますが、薬を飲んだから治るという意識が、
実際に直してしまうことになります。
実力はあるのに、自信を持ちきれない人が、なかなか実力を
発揮できずにいるのも、自分にはできない・・・その意識が
結果に結び付いているとも解釈できます。
自業自得の本来の意味は、このことではないかと私は思います。
業とは身口意の三業をいいます。身は行為、口は言葉、意は
思いです。自らの思い、言葉、行為が、自ら得るもの、
自らが受け取るもの、帰ってくるものということになります。
思いの通りの現実になる。そう解釈することもできると
思います。
はじめに言葉ありき・・・
神は光あれといった、すると光があった・・・
どこか通じていると思います。
三界唯一心、三界唯心造 の意味するところは、
心の中で思ったことが、現象化する、現実となって
現れてくる、ということかもしれません。
はっきり言えませんが、私はそんな気がしています。