仏教のことを、仏法(ぶっぽう)という呼び方もあります。
法とは、さんずい・水が去ると書きます。
水が高いところから低いところへと自然に流れる、
自ずからなる流れ、動き、様子、法則性をいいます。
仏としての法則性、本来の在りよう、人の手を付けられない、
人が介入を許されない様子。
この様子が顕れているのが、「今ここ」です。
「今ここ」 は、過不足なく整った、何の問題もない状態として在ります。
問題のないところを、問題のあるところにしているのは、
その人です。他の誰かのせいにしてしまうこともありますが、
問題を作っているのは、100%その人です。
ですから問題を解決するには、外に原因を求めても解決できません。
自分に目を向ける必要があります。
大元にある一つの誤りは、無いものを有ると確定したことです。
そこから沢山枝分かれし、問題が複雑化します。
現実にある具体的な問題から遡り、大元の問題に行きつき、
そして誤りに気付き、自分自身の本当の様子に気付くこと、
そこが生老病死をはじめ様々な苦しみ、問題を解決し、
その人をいやしてくれる方法の一つであることは、
確かなことだと思います。
法という本来の在りよう、様子が、いつもいつも顕れ続けている、
人を根底から支え続けているということ。
その信頼は、その自覚は、心強さ、安心感、安定をその人に
もたらしてくれると思います。