曹洞宗を開きました道元禅師は西暦1200年にお生まれになり、
五十四歳でその御生涯を閉じられました。その間沢山の御文章を
遺されました。正法眼蔵をはじめとても難しい御文章もありますが、
日常の具体的なこと洗面の作法、歯の磨き方、食事の作法、
トイレの作法、お風呂の入り方、道の歩き方、人とのすれ違い方、
布団のひき方、寝る作法などかなり細かいことまでお示しになって
います。何故そうした細かいことを示されたのか。それは日常
のひとこま、ひとこまが大切なんですよと伝えたかったからです。
私達は、目指す到達点、理想とする目標そうしたところに価値を、
重きを置いてしまいます。そこに到るまでの道のりは手段、二次的
なこととしてしまいがちです。到達点も大切ですが、そこに到る
一歩一歩も同じように大切だということです。どこかで読んだ話
ですが、松尾芭蕉は奥のほそみちの到着地である山寺では一句も
残していないそうです。道中のひとこま、ひとこまと出会い、味わい、
句を詠まれたまさにその精神に通じることだと思います。
道元禅師の御文章に典座教訓(てんぞきょうくん)という典座
(食事をつくる役目)の心得を示したものがあります。その中に
三心の教えがあります。三心とは喜心、老心、大心をいいます。
食事を作るものは、喜びの心をもって料理してください。
老婆心つまり親が子供に接する時のように親切な、思いやりの
気持ちを持って作って下さい。
大きな海は、大きな川も小さな川もきれいな川も汚れた川も
分け隔てなく受け入れます。そのような分け隔てのない大きな心、
寛い心で作ってくださいという教えです。
この三心の教えは食事作りに限らず全てのことに通じる心得
だと思います。
高い目標の達成、勝ち進んで優勝すること、偉業を達成する
ことなど特別なひとこまだけに価値をおくのではなく、
その時その時のことと三つの心をもって向き合い、出会い、
味わってゆくことを道元禅師は伝えたかったのだと思います。