我とは、実体、かわらないもの、固定化されたもの
ということで、そうゆうものではない状態を無我と呼んでいます。
物質は、様々なものの寄り集まったもの、分解できるもの
そうゆう感じです。
無我という言葉で伝えたいこと。それはきっと。
「思い、考えていることも、固定化されたものは無い。」
ということだと思います。決まったものは無い、自由に
思い、考えは変更できる。
現実とよばれる、外側の世界は自分の力ではどうしようもない、
かなりの度合いで定まってしまっているもの・・・
変えられない、決まっているという思い、思考は
無いということ。
変えられない、決まっていると思っている、思い込んでいる
のはその人自身です。
何かを決めてしまうと身動き取れず、苦しくなります。
無我の教えは、
決めないで、固定化しないで、もっと自由になりましょう~
というお釈迦様からのメッセージだと思います。
無我、我が無い、私が無いと書きます。
イメージとしてこんな感じかと思います。
流れている川があります。
川という呼び方もあるし、固有の梓川みたいに名前も
ついています。
実際に川は水の量も、流れているコースも少しづつ違いますし、
一瞬一瞬そこに流れている水はまったく違います。
梓川と一言でいっても、一瞬一瞬変化していますので
中身、内容は全く異なります。
人、「私」も同じだと思います。
名前としては表されますが、
内容は、思っていること、考えていること、気持ち・・・
一瞬一瞬やはり変化して いて同じものはありません。
名前は変わりませんが、中身はいつもいつも新しいもの、
新鮮なものです。
変わらないものがある、過去の嫌な記憶が離れない等のことは、
川底に流木が引っかかり、そこにまたいろんなものが
引っかかっている、そうゆう状況かと思います。
いずれにしても、流れて、去っていくものだと思います。