蓮と鶏
金子みすゞさんの詩に「蓮と鶏」という詩があります。
「泥の中から蓮が咲く、それをするのは蓮じゃない。卵の中から鶏がでる、それをするのは鶏じゃない。
それにわたしは気が付いた、それもわたしのせいじゃない。」
泥の中から蓮が咲くのも、卵の中から鶏が出てくるのも、人が何かに気が付くのも、
みんな自分がやっているようでいて本当は自分以前、自分の背後にある大きな力が働いている、
そういうことを表現した詩だと思います。
現在の最先端の科学技術を以ってしましても、蚊一匹、蟻一匹命をゼロから創ることはできません。
命は、人の力、人智を遥かに越えています。その人智を遥かに越えた大きな力が、
命ある私達にはいつも働いている、いつも支えてくれています。
「日々是好日」という言葉があります。一日一日はみな善き日、ということです。
私たちにとりましては、善い日も悪い日も、受け入れがたい日、ことも沢山あります。
みな善き日というのは、仏様・大きな視点からの言葉です。
ですけれど、たとえ受け入れがたいことが有ってもしばらくしてから、
このことがあったからこそ今の自分がある、或いは大切なことに気が付かせてもらったと仰る方も沢山います。
「日々是好日」とは、私たちを支えてくれている大きな力は善き方向に流れている、
たとえどんなに受け入れがたいことであっても、いつかはそれを肯定的なものへと変容されていく、
そうゆう意味でもあると思います。
「日々是好日」という言葉は、祖師方が心の深いところで感じ取った、気づきとった言葉です。
私たちはいつも大きな確かな力・働きに支えられているということ、命の流れは善い方向に向かっているということを
信頼し、ご自身でも感じ取っていただければと思います。
それは不安、怖れを手放し、豊かさ、ありがたさ、心の平安を感じてゆくことにも繋がると思います。