子供が学校で教わってきました。
竜安寺の石庭には15個の石が置かれていますが、
どこから見ても1つ隠れて14個しか見れないそうです。
15は東洋では完全を表し、14は不完全を表すそうで、
世の中に完全なものはないということを表現しているそうです。
私としては、以下のような意味ではないかと思います。
15個という完全なものがそこにあるけど、14個しか見えない。
つまり完全なものが、不完全にしか見えない。
その不完全に見えるものの奥にある完全性を見極めなさい。
不完全なままで完全ということ、それが知足の本質。
相対的思考の奥にある絶対性に気付きなさい。
衆生本来仏なり。悉有仏性。諸法実相・・・
「人は本来仏様」という教えが仏教です。
仏様という完全性に対し、
人は自分を仏様とは思いません。不完全と思っています。
人は自分を不完全としか見れませんが、本来仏として完全なものです。
自分の中にある仏としての完全性に目覚めなさい。
という解釈のほうが、禅宗らしいのではないかと思います。