問題の所在

人の心の本来の姿は、空、無我という

何もない状態です。何もないといっても全くないのではなく

何かをとどめない状態ということです。

基本形が無いということです。

ですが、そこに、私たちは知らず知らずのうちに

何かを留めます。固定観念を持ってしまいます。

その固定観念は、沢山あります。

小さいころから親に、周りの人に言われ続けたこと、

自分の経験から思い込んだこと、ある事件、出来事から

刷り込まれたもの、いろいろなルートがあります。

特に問題とならないようなものも勿論あります。

支障を生じるものもあります。具体的には 、

男は泣いてはいけない、男性が上とか下とか

ポジティブでないといけない、人の役に立たないといけない、

価値が無いといけない、結婚しないと一人前でない、

など~せねば、~でなくては、~と決まっている・・・

という決めつけ、信念というものです。無数にあると思います。

それがあること自体、別に悪いというものではありません。

自我と呼ぶ人もいますが、それを持つことが悪いこと、

持っている自分が悪い人、未熟な人、そうゆうことでは

全くありません。あるのは普通です。自然です。

ただ、有るより無い方が生きやすいということです。

この固定観念が、日常の反応、人との関係、

物事とのかかわり方、反応に大きく影響しています。

日常生活での行為の源には、この固定観念がかかわっている

と思います。出発点になっていると思います。

その人の持って生まれた性質、傾向というものもあると思いますが、

この固定観念からの傾向も多分にあると思います。

たとえば、いつも掃除をし、奇麗好きで、礼儀正しい人、

それは小さいときに親から厳しく躾けられ、乱れると痛い目に合う から

礼儀正しく、清掃が行き届いていないといけない、という想いが

刷り込まれていて、それがその人の傾向となっているということもあります。

本人がもともとそうゆう傾向ならよいですが、

もしアバウトな適当な感じを好む人なら、

自分とのギャップに苦しむことになると思いますし、

奇麗にしなくてはという想いは、自分だけでなく、

周りのひとにも当てはめようとしてしまい、

そこで対立、不和が生じることもあると思います。

いずれにしてもこの固定観念が、問題を作ります。問題の原点です。

問題が生じたとき、相手の問題と、人のせいにしてしまうのではなく

自分の問題として、自分のなかにある固定観念を見つけ出すという

方向が一番の解決策になると思います。

この固定観念、信念を見つけるには、

カウンセラーに手伝ってもらうこともいいと思いますし、

自分でもコツをつかめばできます。

「この行為は、問題は、出来事は、私の中のどんな観念から来ているのか?」

という問いを、しっかり自分に向け続けます。

頭で考えないで、こころからの返事を待つという感じです。

そうするとこころから、何か関連したことが浮かんできます。

そこにまた、意識を向け続けていると、もっとはっきり

見えてきます。考えずに、注目し、感じようとしていくと

だんだん見えてきます。気づいていけます。

原因の観念にぶちあたると、自分であ~これだと

はっきりわかります。そこから不思議と自然に

状況が良く見えてきます。

自分の心とのやり取りをしているうちに、

今まで以上に、心の声を聴けるようにもなります。

自分の中にはたくさんのこのような固定観念、信念が

在ります。いらっときたり、感情が動いたとき、

それは自分のなかのどんな観念が関係しているのか

見ていき、それを特定し、手放していくと

とても楽になると思います。どんどん軽くなります。

経験でこのことわかる方も沢山いると思います。

観念に気づけば、それでほとんど手放せると思います。

観念を手放すゲーム、そんな感じで楽しんでいくといいと

思います。