(悪い行為を正当化する意図はありません。)
悪い人はいません。一人もいません。
刑務所にもいません。どこを探してもいません。
悪いことをした人はいます。でも悪い人はいません。
ここは重要だと思います。
自分自身を悪い人と見なすことも、
他の人、その人そのものを悪い人と見なすのも、
本当は誤りだと思います。
様々な悪い行為があります。盗んだり、傷つけたり・・・
この行為を起こす元は何でしょうか?
その人の心の奥にある信念、観念、思考、
その人を支配しているネガティブな感情です。
その人自身、その人そのものが、源ではありません。
(もちろん、自分の行為に責任をとるのは、その人です。)
その人自身、その人そのもの は、命です。
命は良い悪い以前の働き、神聖なものです。
そうゆう意味で、「悪い人はいません。」と言っています。
ですけど、自分の行為をコントロール、制御できないのだから、
その人自身がやはり悪いのでは?という見方もあると思います。
それはその人が悪いではなく、その人の自己制御能力が低い
ということだと思います。
「悪い人」はいないというのは、実際そうとしか言えないということも
ありますし、あえて主張するのには理由があります。
悪い人と言われ、自分は悪い人と思った人は、
そこから抜け出せなくなるからです。
悪いという形容詞が、その人全部にかかってくるからです。
自分は悪くなくなった、良くなったとどうやって自分自身で
証明できるのでしょうか?
悪い人を手放すのは、とても難しいことだと思います。
また、悪い人と自分で思い込むと、より自己評価は低くなり、
自分を尊重できなくなります。大事にもできなくなります。
その人の良さは益々出にくくなり、力も弱まり、良い方向へと
更生が難しくなってしまうと思います。
特に親が子に、具体的にここが悪いと言わず、悪い子と言うのは
避けたほうがいいと思います。
もし、「悪い人はいない」ということがどうしても納得できない、
という方は、「悪い」という形容は具体的に何にかかるのか?
そこをじっと見つめてみるといいと思います。
「人」という実質、実体が認められるか?
問い続けるといいと思います。
中心に軸となる何かがどう見ても無い・・・
その気付きがあると世界はまた違ったものとして
見えてくると思います。