色や形が見えたり、音が聞こえたり、暖かさを感じたり・・・
嬉しい、悲しい・・と自分の気持ちにも気づいています。
常に何かを知覚しています。気付いています。
知覚しているものは何でしょうか?
気付いているものは何でしょうか?
「わたし」です、というのも一つの答えだと思います。
でも内容的には不十分かと思います。
知覚している「もの」、「何か」は無く、
知覚は知覚のみというのも一つの答えだと思います。
また、「何か」としか言えない、限定できないものとも
表現できると思います。
また、「すべて」とも表現できると思います。
意味的には、私という「個」以前の「全」ということ。
わたしは「こうゆう人」と自己イメージ、自己像を持っていると
思います。その人が、日常を生きている、知覚をしていると
考えていると思いますが、それは様々な支障を生むと思います。
日常を生きている主体と思われるもの、知覚をしているものは、
「個」としてもありながら、その奥にある「ひとつのもの」、
万人に共通する名称を持たない、「すべて」だと思います。
その気づきの意味するところは、
現象として顕れるものは、無常、無我で移り変わっていくものですが、
私とは、その移り変わっていくもの、消えていくものではなく、
それらを知覚し続ける、在り続けるしかできないもの、
消えたくても消えられないもの、不動のもの、確かなものと
自覚するということです。
知覚しているのは何か?
この問いをクリアーすると視界が一挙に開かれると思います。
マインドフルネスという言葉をよく聞き、目にするように
なりました。どうゆう意味か何度か調べてみたのですが
今一よくわかりませんでした。
ですが動画である方の解説を聞き、ようやくすっきりしました。
その方によりますと、
「マインドフルネス という言葉の定義はまちまちで統一されている
わけではない、目の前の様子をジャッジせず、ただ事実だけを
受け取っていく、気づいていくこと」とのことでした。
今の様子をジャッジせず、事実のみ受け取っていくというのは
とても有益なことだと思います。
その時の出来事に巻き込まれない、感情に巻き込まれない、
深い意味に気付けるなど良い面がいっぱいあると思いますが、
一番すごいと思われる所は、目の前のことに気付いている、
その「気付いている」ことに気付くことが出来ることだと
思います。
”「気付いている」ことに気付くこと ” によって
自分の本当の様子が自覚できると思います。