「心」は、鏡に例えられると思います。
鏡はあらゆるものを映します。
映ったものは、とどまりません。
奇麗に消えていきます。
心もあらゆるものが映ります。去来しています。
見たものも、聞いたものも、味わったものも、
感じたことも、考えたことも、記憶、思い出したことも・・・
現れては消えていきます。
私たちは過去を引きずってしまいがちですが、
本当はきれいに終わっているものです。
終わらせず、引き留めてしまうのは自我です。
引きずっているものがあれば、それに気づき、
どうして終わらせないのか、理由を自分の心に
尋ねてみるといいと思います。
理由がはっきりわかると、腑に落ちると
終わらせることができると思います。
鏡に相はありません。無相です。
心も相はありません。無相です。
相がないということは、規定、限定できない
ということです。
自分はこうゆう人と誰もが自己イメージを持ちますが、
それは、大きな可能性を秘めた自分の心を限定し
制約してしまうことでもあると思います。
また、自己評価の低い人、自己否定している人は、
一部分的なものだけで自己を規定してしまい
本当に勿体ないと思います。
本来、私たちは自由な存在だと思います。
何にでも成れると思います。
自由を求め、自由になろうとしますが、
もともと自由なのに、不自由にしているのは
制約、制限しているのは、その人自身だと思います。
鏡に映ったものは、対象そのものの様子です。
心に映っていることは、対象そのものの様子 ですから、
心そのものの様子でもあります。
心で感じている外側の世界は、その人の心の様子が
形となって顕れたものということです。
外の様子と心の様子は等しいということです。