常識的なことと仏教の教えは真逆の関係にあると思います。
而今が永遠と言われたり、
一即一切、部分・個が全体と言われたり、
煩悩即菩提、煩悩がそのまま悟りと言われたり、
自他一如、自分と相手は一つのものと言われたり、
差別即平等、違うものが同じものと言われたり、
迷悟一如、迷いと悟りは同じものと言われたり、
生死一如、生も死も一つ、同じものと言われたり、
などなどです。
以下は個人的なこだわりかもしれないのですが・・・
三界唯心造という言葉があります。この世界は心が造っている。
思い、思考が先にあるということ。
普通は、外側の出来事を観察し、こうゆうことなんだと
考えとしてまとめます。思考は後です。
全部が全部というのではないのですが、
思考が先ということも、間違いではないように思います。
たとえば、戦争する人類をみて、人間はまだ未熟と思いますが、
人間は未熟、不完全という意識、思考が戦争をもたらす
ということは、道理としては可能です。言えます。
病名を付けられることによって、病気になる。
これはお医者さんも言っています。
東京などの都会で、高いところから景色を見ますと、
沢山の家やビルなどの建築物、車、公園・・・と
人工的に創られたものが目に入ります。
一つの家の中にも、沢山の家具、電気器具など人工物があります。
見渡せる限りのところに在る、沢山の人工物は、みんな人が創ったもので、
形になる前は設計者の頭の中、意識に在ったものです。
この世の人工物はすべて思考、意識が形になって顕われたものです。
思うということが、現実を引き起こすということは、
やはりあるのではないかと思います。