ある檀家さんの家では豆をまくとき「福はうち、鬼はうち」といって
豆をまくそうです。いつごろから、どうしてそうなったかは当主の方
もわからず、ただ昔から集落の家々で外へと追いやられた鬼を
受け入れる家だったと聞かされているとのことでした。
仏教の説話に福の神と貧乏神のはなしがあります。
ある男性の家へ美しい女性が尋ねてきます。「わたしは福の神です。
しばらくここに置いて下さい。」と言われ男性は喜んで奥へと通します。
それから程なく身なりの汚れた女性が尋ねてきます。「わたしは
貧乏神です。しばらく置いて下さい。」と頼みますが男性は大切な
お客様が来ているからと断ります。すると「先ほどの福の神は私の姉
です。私達はいつも一緒です。私が帰れば姉も帰ってしまうでしょう」
といって帰ってゆき、男性が奥の座敷に戻ってみると福の神も姿を
消していたというお話です。
日々の生活には、幸と不幸、福と厄、楽と苦、喜と悲などどちらも一対
になって身近にあるものですが、どうしても私達は良い方を選び嫌な
方を避けてしまいます。
仏教は望む福も望まない災厄をもどちらも受け止められる自分になる
為の教えです。すべてを受け止められるところを無我といい、そこに
安心(あんじん)があると説きます。福は内、鬼は内と福も鬼もどうぞ
お入り下さいと言える人の心に本当の福は訪れています。
因みに東京の鬼子母神ではお祭している神様が鬼ですから「福は内
鬼は内」というそうです。また奈良吉野の蔵王堂というところでも「福
は内、鬼は内」というそうです。ここではお経の功徳で集まった鬼を
改心させる為だそうです。